
はじめまして!イナバカメラ店主の稲葉文享と申します。趣味もあわせてカメラマンとしての簡単なご紹介をさせていただきますと、私が初めて手にしたのが幼稚園年長時のフジペット(6x6)。そして、小学生時代はボルタ判・ベスト判サイズのカメラを手にして近くを走る近鉄電車を写し回りました。(いわゆる「鉄道カメラ小僧」の始まりでした。)
以後ペンタックス(SP・オート110・6x7初期)・二コン(ニコマートFT・フォトミックFTN・ニコノスU・V・W―A)・ミノルタ(SR-101)・キヤノン(FTb・AE-1・A-1・110ED・T70・EOS650・100・10・5・55・1・3)・マミヤ(プレス・C330)・トヨビュー(45C・フィールド)・ブロニカ(S2)・リンホフ(スーパーテヒニカ45)・ハッセルブラッド(500CM・EL・SWC)と8mmカメラ、フジ(シングル8)キヤノン(スーパー8)など、その他コンパクトカメラは数え切れないほどのメーカー機種を使用していきました。
20代には最終蒸気機関車牽引列車撮影を最後に一時鉄道写真から遠ざかり、水中と山岳撮影にはまっていきます。以後、テーマを決め、国鉄宇高連絡船を瀬戸大橋完成まで通い続け、次にJR信越本線、横川〜軽井沢間を廃線直前まで月2回のペースで通い続けた時に俯瞰撮影に魅了されていきました。
ペンタックス67U・キヤノンEOS-1DIGITAを背負い、敦賀ラーメン・ソースカツ丼を味わいながら、ロッククライミングの岩を木に変え「潮風の薫る峠」俯瞰撮影を楽しむのは最高でした。
現在、仕事では建築関係から精密機械、IT企業と幅広く出張撮影で全国を走り回っております。また、趣味ではもっぱら日本の自然や寺院など時間があれば撮影しております。
(余談ですが、小学生時代からの鉄道模型(Oゲージを経てHO)作成の趣味も本格化、製作車両数も増え現在数百両の車両が肩身の狭い思いをしています。1/80で製作中の宇高連絡船(土佐丸)も多忙でなかなか手をつけらず廃船状態です。何時進水式を迎える事か・・・!)


北陸本線、敦賀駅と新疋田駅間6.67Km(下り)に対し標高差が88.44mと大きく、勾配を緩和する為、ループと言う区間を設けている。四季を通しこの区間を走破する列車と、地域の生活と鉄道、新疋田地区の史跡等を撮り続けている。
広大なループの地形を走行する列車を撮るには、俯瞰撮影しか方法がない。撮影ポイントを開拓するには獣道も無い所を登り探り当てていく。その場所は全て木の天辺がカメラ固定位置。撮影機材の外、ザイル・鐙・ハーネスとロッククライミングの器具も必需品。季節によりその場所まで到達出来ず、挫折する事も度々あるがその場所から見下ろせる敦賀湾の景観と潮風の薫りが堪らない感動を与えてくれる。

1991年5月から新疋田駅を拠点に撮影ポイントの開拓開始。1994年7月NHK福井放送局「イブニングネットワーク・駅シリーズ」の取材を受ける。1995年RM140号5月号「峠ガイド」掲載。同年8〜9月敦賀駅待合室にて「潮風の薫る峠」写真展開催。1996年7月朝日新聞福井版「まち・むら・ぴーぷる」の取材を受ける。同年8月新疋田駅にて写真展「光跡」を開催。2000年4月よりCTC化に伴い無人化。

短い区間で標高差が大きい地形に施設される路線。直線では勾配が大きく輸送に支障が出る為、その区間を周回し穏やかな勾配で走破出来る。
JR西日本では、北陸本線敦賀駅と新疋田駅間がその線区で、区間距離6.67Km(下り)、9.81Km(上り)に対し標高差88.4mある。下りと上りの区間距離差3.14Kmがループに施された距離が高速運転と単機重量貨物運転を可能にしている。
福井県敦賀市追分から滋賀県西浅井町沓掛を結ぶ4.5Kmの街道がある。標高370mの峠は昔、塩を運ぶ道であった事を伝えるありがたいお地蔵さまが祭られており、今でも人々が塩を御供えする姿がある。ここがかつて越前と近江を結ぶ物資の大動脈であったことを物語っている、深坂古道深坂峠である。
電気機関車EF81(イーエフハチジュウイチ)の略名。特急トワイライトエクスプレス(大阪―札幌)・特急日本海(大阪―青森)もこの電気機関車が牽引している。